今回は、
光信公の館(みつのぶこうのやかた)をご紹介します。

光信公の館の前庭には、約500本の
ボタンが植えられています。
ボタンの花言葉:高貴、壮麗、恥じらい、誠実早い年には、今の時期既に蕾が赤く色付き、膨らんでいるのですが、
今年はこのとおり…

花が咲き始めるまで、まだ時間がかかりそうです。
タンポポはたくさん咲いているのですが



今年の
ボタン祭りは、5月28日(土)~6月12日(日)。
祭り期間中は、光信公の館も休まず開館します。
ボタン園の入園の際に入館料をいただきますので、是非館内もご覧ください。
ちなみに、なぜボタンを植えているかというと、
ボタン(牡丹)は、
津軽家の家紋なのです。
津軽家、と聞いてもピンとこない方のために、簡単にお話しましょう。
この館(やかた)があった場所には、元々
「種里城」というお城が建っていました。
1491年、南部下久慈(岩手県久慈市)からこの地にやって来た光信公が建てたお城です。
その後、津軽統一を目指し、
岩木山を越えて大浦(旧岩木町。現在の弘前市立津軽中学校の場所)に進出。
しかし、津軽統一の夢叶わぬまま、種里でお亡くなりになりました。
ですがその後、子孫たちが頑張りました!
子孫の大浦為信は、
大浦城から
堀越城(弘前市)へ移り、着々と治めていきました。
そして豊臣秀吉から認められ、「大浦」から「津軽」へ改姓しました。
これが「津軽氏」の始まりです。
弘前藩(通称:津軽藩)初代藩主となった津軽為信は、新たに城を築きます。
それがあの
弘前城です!
弘前藩をさかのぼれば、鰺ヶ沢町種里に辿り着くんですね~
そのため、大浦光信公は、「津軽藩の始祖」と呼ばれています。
種里は、「津軽藩発祥の地」なんですよ。
さて。
長くなりましたが。
ここからが大事な所です

下の写真の光信公、何の方向を指しているかというと、
光信公の出身地、久慈の方向を指しています。
その
久慈と種里を地図上で一直線に結ぶと…なんと
岩木山、大浦城跡、船越城跡、弘前城が、ほぼ直線上に並んでいるのです!!
大浦、船越、弘前城のある鷹岡の地から
当時から崇拝されていた岩木山を拝むと、
同時に、光信公が眠る種里を拝むことにもなるため、
計算してそれぞれの城を居城にした、とも言われています。
偶然ではなく、計算されたものだったのか…
信じるか信じないかは、あなた次第です。最後にコレ。
光信公の館へと続く急な坂道を登る際には、是非ご利用ください。

光信公の館
住所:鰺ヶ沢町大字種里町字大柳90番地
電話:0173-79-2535
開館期間:5月1日~10月31日の金・土・日曜日
※ただし、ボタン祭り期間中は無休
開館時間:9:00~17:00(9・10月は16:30まで)
入場料:大人/300円 高校生/220円
小・中学生/150円
(※毎週土曜日、町内の小・中学生は無料です)【あ】
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